羽高トリビア No.4 「羽水高校グラウンド物語」 〜後編〜

トリビアNo.3で、開校当初の本校グラウンドについてお伝えしましたが、今回はその続編です。

本校創立6年後の昭和43年、福井県では第23回国民体育大会が開催されました。

我が校でも、10月の開催にあわせて、前期週37時間、後期週33時間の変則時間割が組まれたそうです。
また、本校のグラウンドが「馬術大会」の会場に使用されることになり、6月から改造工事が行われました。

馬術競技の様子馬術競技の様子

国体の年は本校は馬術競技の会場になりましてね。
会場設営は福井市役所が責任者となって馬術連盟や学校と協議して準備をすすめてきたわけです。

43年も6月になると校庭を馬場にする突貫工事がどんどんはじまったわけです。グラウンドに15センチほど土盛りをしたんです。東半分は練習馬場になり、西半分が競技場の馬場になったわけです。

(「羽高十年史」より 本校元教頭・小倉良造氏談)

上の写真が大会時の写真です。
我が校のグラウンドを馬が駆け回っていたとは…想像を絶する光景ですね。

しかし、部活動や体育の授業、それから学校祭はどうなったのでしょうか?
どう考えても実施できなさそうなのですが…。

現在のグラウンド東側それで体育の授業や放課後の体育系クラブなどはまともにグラウンドが使えなくなりました。各クラブは、それぞれ苦労して他の会社の体育施設を借りるとか、足羽川原で練習するとか、という状況になったわけです。それからグラウンドの一番東側には馬小屋がずらりとできまして、やがて馬が120頭、全国各地からやってくることになりました。

(「羽高十年史」より 本校元教頭・小倉良造氏談)

右の写真が現在のグラウンド東側です。
…とすると、厩舎は現在プールがある場所の南側の辺りにあったということになりますね。

室内野球練習場これが厩舎があったと思われる場所です。
現在は野球部の室内練習場が建っています。
すぐ近くに住宅が隣接していますが、当時の本校周辺は一面の田んぼでしたから、問題にはならなかったのでしょうね。

それで馬の世話をする馬丁さんが60人ほど来まして非常に、にぎやかになったんです。そして本校の先生方が約20名、馬術競技の役員です。それから生徒が130名補助員として動員されたわけです。全然馬術競技を知らない者が、急ごしらえで教えを受けながら仕事をするわけですから、なかなか大変だったんです。しかも、馬という生き物を相手に慣れぬことをするわけですから、随分と苦労があったんです。

(「羽高十年史」より 本校元教頭・小倉良造氏談)

補助員の羽水高生グラウンドに作られたこの厩舎には馬丁さんも一緒に寝泊まりしたそうです。
当初は戸惑った教職員や生徒たちも次第に慣れ親しんでいったとか。

やがて国体がはじまり、10月2日には秩父宮妃殿下がご臨席され、やがて馬術競技も終わり、我々も肩の荷をおろしたわけです。その直後に、県の馬術連盟の幹部の人が、総合優勝した福井県選手を前にして「優勝は選手の力だけだと思ったら大間違いだ。羽水高校の先生や生徒にいろいろ厄介をかけたんだ。このことを忘れてはいかん。」ということをおっしゃっておりましたがね。

(「羽高十年史」より 本校元教頭・小倉良造氏談)

ちなみに当時、羽水高校には「馬術部」がありました。
国体では、県内の他の高校3校との合同チームを結成し、入賞目指して頑張っていたようです。

本校馬術部の女子選手

私たち羽水高校馬術部は、福井県馬術連盟の中にあって、他の二校とともに出場することになっていた。三校のチームワークは抜群に良く、まるで一校のようになって国体へ突進していった。羽水高校馬術部からは、私と斎藤君、女子では二年生の伊藤さんの三人が出場することとなり、今日まで厳しい強化合宿が続いてきた。足の皮がすりむけ、尻の皮がむけたりして、苦しいことが数多くあった。試合一週間前からは、人馬ともに最後のコンディションを整えるために、休養に入った。(中略)

いよいよ私たちの出番。高校生自馬障害飛越競技である。(中略)

私は「三十六番」というアナウンスと同時に高鳴る胸をおさえて入場した。うやうやしく敬礼。それ以後のことは全くおぼえていない。会場のざわめきも聞こえず、ただ夢中で障害飛越をすませた。どうやら失点なしでゴールを踏んだ。 (「羽高十年史」より 馬術部員・渡辺正巳氏 記)

結局、このとき渡辺選手は決勝に進み、七位入賞を果たします。また、斎藤選手は「貸与馬競技」チームの一員として出場し、二位入賞を果たしたそうです。我が校の馬術部は、国体の総合優勝に大きく貢献したのですね。

なお、本校馬術部はこの後も数々の大会で入賞したのですが、馬や馬場の管理が難しいということで、昭和54年に廃部になってしまったそうです。諸事情を考えればやむを得なかったとは思いますが、とてもユニークな部だっただけに少々残念な気がします。

できれば、当時の部員の方のお話をうかがってみたいと思いました。(K)

補足トリビア

現在のテニスコートとハンドボールコート国体会場として使用されたあと、我が校のグラウンドは元の状態に戻されたわけですが、その際「置きみやげ」があったとか。

羽水高校の庭球コートは、あれは大変な値打ちものですよ。国体のときに、校庭を馬場として使って迷惑をかけました、お礼にテニスコートを造らせていただきましょう、というのであのコートができたんでいわば国体の置土産。

庭球の島田博道市長の伝で、東京からわざわざ専門家を呼んで造らせたんですね。たいへんに吟味したコートで、土が何層にもなっている。

(「羽高十年史」より 本校二代校長 中山 弥氏 談)

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