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羽高トリビア No.3 「羽水高校グラウンド物語」 〜前編〜

現在のグラウンドきれいに整地された本校のグラウンド。

排水機能がしっかりしており、雨が降っても短期間で使用が可能になる立派なものです。
本校の沿革によると、昭和61年に排水工事が行われたようですね。また、平成11年にもグラウンド改修工事が行われたそうです。)
ここでは毎日、野球部やサッカー部、陸上部などが汗を流しています。
また、西側にはハンドボールコートが2面、テニスコートが7面作られており、ここでも生徒諸君が活発に部活動を行っています。

とても充実している本校のグラウンドですが、創立当時は大変な苦労があったとか…。

昭和38年5月の羽水高校
すでにご存じの通り、本校は昭和38年に設立された学校です。
全くの新設校でしたから、用地を確保し、校舎を建てることから始めました。

左の2枚の写真は創立当時のものですが、見るからに工事中ですね。
両方ともまだ第一体育館がありませんし、上の写真に至っては南校舎を今から作る…という状態です。

そんな状況でしたから、グラウンドの整備はなかなかすすみませんでした。


昭和39年3月の羽水高校

新校舎の立派さに比べて、屋外の環境は非常に悪かったんです。グランドなんか、工事の足場に使った鉄くずやガラスの破片が土中にめり込んでいて、とても使用できる状態ではありませんでした。

そのため、1学期の体育の授業はほとんどが校庭の整地作業でした。スコップを50丁程も購入しましてね、体育の中村、玉木先生を中心に毎日作業を続けたんですよ。しかしそれでも追いつかないものだから、体育科だけでなく、全校の協力態勢を整えましてね、夏休みに入っても、特別に学年招集日や学級招集日をもうけて炎天下で作業を続けたのを憶えています。
(元本校教諭・小原勉氏談、 「羽高十年史」 より引用)

 

あまりにも過酷な作業だったために、当時校長だった米沢保先生は、「日当は出せないが、せめてアイスクリームでも」とおっしゃって、作業に取り組む生徒や教員にアイスクリームを配っていらっしゃったとか。

当時の「羽高新聞」にも次のような記事が見えます。

グラウンド整備の様子8月開拓者精神発揮!

ただ、だだっ広いグラウンドは埋立されただけで、ゴロゴロと石ころばかり…。その下は田んぼだっただけに遠慮無しにスクスクと草は伸びている。全く見ただけであきれてしまう。しかし、あきれてばかりはいられない。

8月の夏休みに行われた校庭整地―木陰1つ無い炎天。8月の太陽はまぶしく、ギラギラと羽高生を照りつける。スキやクワを持ち、ローラーを引く男子生徒の額に玉のような汗。カマを握り一心に草を取る女子生徒の手にも汗は落ちる。あちこちで文句も飛ぶが、でも手は休めなかった。誰の校庭でもない、自分達のものだ。誰が使うのでもない、自分達が使うのだ。

それからも校庭整地は続いた。完全とは言えないまでも、今の素晴らしいグラウンドを見た人がこのようなことを想像するだろうか。しかし、それらは私達一人一人の心の中にある。
私達だけしか知らない汗が、今はすばらしいグラウンドの土の下に流れているのだ。

むむむ。想像を絶する状況ですね。

草がスクスク伸びたグラウンド…現在のグラウンドからは考えられないです。
それに今だったら、グラウンドにブルドーザーなどの重機を入れたり、土そのものの入れ替えをおこなったりするところなのでしょうが…当時はすべて手作業だったのですね。

他にもこんな記述が残されています。

晴れたある日、授業時の疲れた眼を校庭に移したY君、校庭に浮かぶ金波銀波を眺め、心ひそかに思えらく、「おお、いつになったらまともの校庭になることやら……」 (羽高新聞 第1号より)

 

あの頃は練習といっても毎日スコップもったり鍬もったりする時間の方が多かったですね。地面に小さな石がぽこんと出ていて取りにかかるとものすごく大きな岩や、下の方が。埋め立て地やで。(卒業生談  「羽高十年史」 より)

創立時の部活動は、運動部が6部(陸上・バレーボール・軟式庭球・軟式野球・バスケットボール・体操)、文化部が9部(放送・新聞・郷土研究・生物・生活科学・語学・美術・茶華道・JRC)の合計15部だったそうですが、運動部が少ないのはこういった状況が反映されているのでしょうね。

当時はバレーやバスケットも屋外で練習していたそうですし、まだ体育館ができあがっていなかったわけで(体育館完成は昭和40年)、どの運動部も創立後2年間は「部活動=グラウンド整備」といった状況だったようです。また、野球については、グラウンドが石だらけで非常に危険だという理由で、硬式ボールの使用が禁止されていたそうで、軟式のボールと硬式のボールを併用するなどしていたそうです(だから軟式野球部なのですね)。

第一回体育祭での記念撮影創立2年目におこなわれた体育祭も大変だったようです。

オリンピックの年(昭和39年)は羽水高校第一回体育祭の年です。

一年生と二年生しかいない学校で、それに高校体育祭の経験が全然ない者ばかりが、手さぐりの思いで中学校でやった応援合戦などを一生懸命やりました。デコレーションなどは思いも及びませんでした。

グラウンドがまたガタガタで、その上前日の雨で、転倒する者が次々と出ました。露出した岩の角につまずく者、赤べとですべる者で大変でした。まるで田んぼの中で体育祭をやっているようなものでした。(卒業生談  「羽高十年史」 より)


うーん、なるほど。
確かに上の写真を見てみると、足下が石(?)でゴツゴツしていますね。

当時は排水設備が整っていないため、雨が降るとグラウンドに出ることができなくなり、体育の時間などには職員室前の廊下を走ったり、現在は礼法室や生徒指導部室、放送室が並んでいる場所にあった「大教室」で体操をしたりしたそうです。

…というわけで、創立当時のグラウンドについて調べてみると、本当にさまざまな苦労話が出てくるわけですが、逆にこういった困難を乗り越えることで、「自分達の学校だ」という意識を強めることができたのかもしれません。

この後、環境が整備されて行くにつれて、どの部活動もめざましい活躍を見せるようになっていくのです。(K)

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