羽高トリビア No.2 「羽水高校はあつかった!?」

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…という話ではなく…

今回は羽水高校の校訓の話です。

羽水高校の校訓の出典は中国の古典「中庸」です。

博(ひろ)く之を學び、
審(つまびら)かに之を問ひ、
愼(つつし)んで之を思ひ、
明らかに之を辨(べん)じ、
篤(あつ)く之を行ふ

謎のサークル1
本ホームページの「羽水高校紹介」のページにある「校訓」の項に詳しく書かれているのですが、現在の校訓は創立30周年を契機として、昭和59年度に改訂されたものです。

正面玄関の石碑や第一体育館正面に掲げてある書などで日々目にしているものですから、生徒諸君は知っているだろうと思います。
この際、生徒諸君にはこれらの章句の意味するところも理解しておいていただきたいものですが、それはさておき…


改訂前の校訓はどのようなものだったのでしょうか?

気になったので、「羽高三十年史」をひもといてみました。
すると、本校の校訓は昭和58年度までは以下のようなものだったことが分かりました。

「本校教育の基本方針」昔の校訓

1 力をあわそう
2 力をつけよう
3 
力をいかそう

立派な校風樹立を目指して教員も生徒も一丸となった協力態勢を確立し、豊かな社会性を培うとともに、自己の本分を自覚して常に科学的態度で学力の向上につとめ、さらに生活の実践においてこれを生かすよう努力する。

…なるほど。
本校の創立は昭和38年ですから、「新設校として、みんなで伝統を作り上げよう!」という気概が感じられるものになっていますね。
これはこれで、分かりやすくて良い校訓だと思います。


……
………
…………
…………… ん??

縦に並べてみると何やら仕掛けがあるような…

1 力をわそう
2 力をけよう
3 力をかそう

なんと、「あつい」という言葉がうかびあがってくるではありませんか!

これは単なる偶然なのかというとさにあらず。
実はこの校訓、本校初代校長・米沢保先生の発案によるものだそうです。

羽水高校の教育目標というか、スローガンがありますよね。「力をあわそう・力をつけよう・力をいかそう」……これは米沢先生が作ったんで、あわせるの「あ」、つけるの「つ」、いかすの「い」。これで「あつい」となる。羽水は「うすい」んじゃないんだ、あつく行くんだという心です。

あの頃、週刊誌にタテのカギ、ヨコのカギのボナンザグラムが流行しましてね、米沢先生がこれの大ファンでしばしば入賞してましたから(笑)、こういう語呂合わせはお手のものでした(笑)。この米沢校長作のスローガンを、生徒指導部は生活指導の目標に取り上げましてね、生徒をはげましたものです。(中略)

新設校だからといって、既設の普通科高校の次にくるものであるなんて世間では思われがちでしたから、既設の学校の影響を受けない、全く独自の校風を作るんだというPRを各中学校に流しましてね。入学してきた生徒も、職員もみんなそれだけの気概を持っていましたね。

(「羽高十年史」より 本校元教諭 岩永照夫氏 談)

ここで言う「あつい」というのは「厚い」のことを指すのでしょうが、「あつい」は「熱い」にも通じます。
何だか、創立当初の「熱さ」が伝わってくるエピソードですよね。

この校訓は、開校以来20年に渡って生徒に親しまれた後、昭和59年の改定によってその役割を終えました。

現在の校訓は、昭和59年当時、本校教諭であった田中和男先生が中心となり、1年間の検討の結果、改定されたものです。
近代日本の古典や西洋の古典など、様々な文章を検討し、「苦悶の果てに辿り着いた」のが中国の古典だったそうです。

体育館に掲げられた校訓
これまで、校訓といえばほとんどが漢文から採られるのを、時代錯誤的で古臭いと嘲笑する傾向が自分にもあったが、多少の苦労をしてみて、その深遠豊穣な思想性、時代を超えて感銘を与える生命力、日本人の耳に訴える簡潔緊迫した音調美に、中国古典が採用される理由を改めて見直した次第であった。

(「羽高三十年史」より 本校元教諭 田中和男氏 談)


なるほど。管理人はてっきり「始めに漢文ありき」で校訓が定められたのだと思いこんでいましたが、実はそうではなくて、様々な試行錯誤を経て、たどり着いたものだったわけですね。

いろいろ調べていくうちに、校訓には様々な思いや願いが込められているのだということを再認識しました。

日々何気なく接している校訓ですが、こういう歴史を踏まえて眺め直してみると、みなさんにも様々な感慨が湧いてくるのではないでしょうか。(K)

補足トリビア その1

 ちなみに羽水高校という校名については、足羽山・足羽川にちなんだ名前をつけようということで、会議が行われたそうです。

 校名については、候補が四つ五つあったと記憶しています。市の中央からすると、南東の方角にあるので城南高校とか城東高校、というのが確かあったはずです。何だか小説に出てくるフィクションの学校名みたいじゃないか、といって冷やかしたのを憶えている。(註・他に足羽高校、九頭竜高校、竜東高校などが候補の中にあった)

(「羽高十年史」より 当時 県教育委員・だるま屋社長 坪川健一氏 談)

補足トリビア その2 

 前述の坪川氏によれば、北陸高校の前身は、昔、羽水教校と呼ばれていたそうです。 また、当時の足羽一中の学校新聞が「羽水」という名前だったそうですが、会議のメンバーはそれらのことを全く知らず、考慮もしなかった…とのこと。教育委員会の方々に、これらの情報が伝わっていたら、本校の校名はまた違ったものになっていたのかも知れません。

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