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羽水高校の部活動・行事
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交流コーナー

このコーナーでは当ページに送付されたメールを紹介していきます。投稿はメールフォームからどうぞ!

2010/4/1 卒業生の吉田さんかメールが届きました。

56年卒業のものです。

52年に足羽高校が新設され、その1期生との関係で、羽水高校は二年間、定員割れを起こし、
私の学年は全員合格でした。

演劇部に在籍していましたが、当時、学校全体が演劇が盛んで、文化祭では、色別対抗演劇祭が
ありましたね。優勝、主演男優賞、女優賞、助演・・・などなど
演劇部から現役の芸能人が、日野陽仁さんhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%99%BD%E4%BB%81

顔は皆さん知ってますよね。
後、3時のワイドSHOWで有名レポーターだった、乙部〜〜さんという方もいらっしゃいました。
現在、県会議員の大森氏は、初代演劇部部長でした。

当時は、野球好きな人間は、全国大会に行ける、軟式野球を選択するものが多く、硬式野球部は
弱小でしたが、遅くまで皆さん頑張ってましたね。
卒業3年後かな。旅行で京都に居る時に、夏の甲子園予選、準決勝で福商に勝った新聞が(京都
新聞)ありまして、急いで帰らねば、と確認したら誤報でした。

ちょうど私たちの世代が、福井放送が移転してきて、田んぼの真ん中から、建物乱立の時期でし
たね。

余談ですが、足羽高校は当時、男女交際禁止、見付かったら停学でした。今の世代の子が聞いた
ら笑うでしょうがね。

 

 

2009/6/14 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました。

メッセージ:
7回(1972年)卒業生の笠原重久です。

先週末(6月第1週)、ドイツのライプツィヒで開かれた欧州アフリカ研究学会に行ってきました。
主にヨーロッパの大学や研究所で作られた学会による、2年に一度の会議で、アフリカからも参加者(主に大学の研究者)がかなりいました。会議会場はライプツィヒ大学で、アフリカ研究であれば、ほぼ何でもありの会議でした。この大学には明治時代に森鴎外のほか多くの日本人が留学しており、日本近代医学の発展に大きな影響をしたところです。

ライブティヒ空港からホテルまでタクシーに乗りましたが、150キロで走られた時は、ドイツの道路事情と車の機能に感心しました。ちょうど街はサマーフェスティバルを始まった時で、多くの人たちがいろんな屋台が並ぶ街中にくり出していました。また、あちこちで作られたステージでは、1970年代のアメリカのロックン・ロールが演奏されていました。この地が20年前まで「鉄のカーテン」の向こう側にあったことは、想像がつきませんでした。

私が呼ばれたのは「アフリカの地域統合」について検討する円卓会議でした。ちょうど最近数カ月にわたって2009年のアフリカ開発レポートのために研究してきた課題だったので、話したいことはたくさんありましたが時間がたりなかった。来月(7月)、このレポートの報告会(主にメディア、大学・政府関係者、内外外交官を対象)を東京でおこない、そのあとで福井に帰省します。夏の休暇は書きさしの原稿を終わらせるために使うことになります。

また連絡いたします。

笠原
ジュネーブ


笠原さん、こんにちは。

ライプツィヒ大学…名門ですよね。たしかゲーテやニーチェもここで学んだような…(と、ここでwikipediaを調べてみました)。おお!やヴントやデュルケーム、シューマンにワーグナー、朝永振一郎…etc…

 

2009/5/8 卒業生の新谷さんからメールが届きました

掲載ありがとうございます。羽水高校吹奏楽部のHPから辿ってまいりましたが、選考でボツになったかと思っていました(笑。

福井商業の春の高校野球応援で吹奏楽部が甲子園に行った時のことを書かせていただきましたが、私の卒業した年に、羽水高校吹奏楽部第一回定期演奏会を開催しました。途中中断した時期があり、また再開されたとのこと、嬉しく思います。 私は東京で現在もアマチュアオーケストラでトランペットを吹いています。 羽水OBや在学生の方で、東京で活動の場所を探している方は、一緒に活動できると良いですね。 先日、武生東高校の吹奏楽顧問でしたU先生と東京で、一緒に呑む機会があり、懐かしい福井の話に花が咲きました。

さて、生徒会副会長だった時の思い出ですが、生徒総会の議題で「食堂のカレーライスに肉を入れて下さい。」というものがあったことを思い出しました。 当時の食堂のメニューは
・定食(要予約)
・きつねうどん
・天ぷらうどん(かき揚げ)
・カレーライス
・おにぎり
だったと思います。

カレーは玉ねぎとニンジンしか入ってなかった為、食べざかりの羽水高生には、かなり物足りなかったのを覚えています。では、値段を20円値上げして、鳥のひき肉を入れるということで決着しました。 今でもカレーライスを見るたびに、玉ねぎカレーをふと思い出しニヤリとしてしまいます。

卒業式のくす玉について

生徒会の最後のイベントは卒業式のくす玉作りでした。これが、毎年、うまく割れませんw。
結局、先生方に竹の棒で突いていただいて、割るなんてことになってました。今もあるのでしょうか?


新谷さん、こんにちは。またまた掲載が遅れてしまい申し訳ありません。
基本的にボツにはなりませんので…(^_^;)

それにても…新谷さんがご卒業の年に第一回定期演奏会ですか…歴史を感じますねえ。
私の担当するクラスにも吹奏楽部の子がいまして、先日、正面玄関のショーケースの中のトロフィーを回収していたんですよ。
それで話をしてみたら、昔のトロフィーの中にはとんでもないもの(つまり素晴らしい戦績を示すもの)があるとのことでした。
「先輩たちに負けないように頑張る!」と言っていましたよ。

>生徒総会の議題で「食堂のカレーライスに肉を入れて下さい。」というものがあった

これまたすごい議題ですね(笑)。トリビアに入れられそうだ…議事録とかないのかなあ…。
ちなみに今の食堂のカレーは絶品ですよ。肉もたっぷり入ってますし、正直そこらの喫茶店よりおいしいです。私は大好物でして、週に一度は食べてます。その他にはカツ丼やら各種定食やらラーメンやら…豊富なメニューがそろっています。今までの勤務校の中ではトップのおいしさですね。あまり知られていませんが…。

>卒業式のくす玉について

これは…全く知りませんでした。へえ…いつまで続いていたんでしょうね。
残念ながら「羽高十年史」「二十年史」「三十年史」には記載がありません。ご存じの方、ご一報下さいませm(__)m


2009/4/22 卒業生のFさんからメールが届きました。

4ヶ月ぶりにお邪魔しました、92年卒OBのFと申します。
この春二人の息子が、小学校と保育所にそれぞれ進級しました。子育てもほんのちょっと一区切 りです。
現在仕事は司会業をしており主にブライダルを手がけております。
そこで気づいたことは、最近のブライダル業界は春が来るずーっと前から春が来ているんです。
不況のあおりもあり、最近の若い方は両親に結婚資金をおんぶに抱っこ、という方が減ってきたように思います。つまり、時期をずらして安く仕上げる方がとても多いということです。 (おかげさまで仕事は年中なんだかんだあります(^^ゞ)

また、ここ最近、平成生まれを何度となくお世話することがありました。
高校卒業してまだ2年目とかですよ…
現役大学生もいます。
でも彼らを見て思うのは、その責任感の強さです。
さらに、当日感じるのは、ご両親がすばらしいということ。
昔副業としてやっていたときは(22才〜)新郎新婦はほとんど年上で、それでも結構無責任でオコチャマな方も多かったんです。
離婚するであろうカップルはすぐ分かります。
特にデキちゃったの場合は、男性の方からやる気が感じられないことも多かったのです。
打合せにご両親同席、なんてのも普通でした。
一旦人の親になると、親の目で見てしまうもので、結婚を決断したこの平成生まれ達は事の重大さをちゃんと分かっていて、地に足着いてるなぁと、なんか涙が出そうになるんです。
男性でも両親に感謝の気持ちをストレートに伝え、涙し、二人三脚で自分達の結婚式を一生懸命作り上げる姿を見ていると、心から応援してあげたくなります。
また彼らを育てたご両親世代(40代)はバブルに踊らされた自分達の経験を子供に繰り返さすまいと(知らず知らずのうちに)教育をされてきたのではないかと思うのです。
学校の教育も彼らの人間形成にものすごく大きく影響しているのではないかと感じます。
今の子はみんないわゆる「プレゼンテーション能力」に長けていますね。
男だから、女だから、というこだわりも薄いです。
いいところしか見ていない意見ですが、本当に嬉しいことです☆★

ではまたお邪魔します。


Fさん、こんにちは。

なるほどブライダル業界にいらっしゃるFさんならではの新鮮な視点ですね。
確かに私も含めた「バブル世代」と、彼らが今置かれている状況は全然違いますよね。我々年上の者から見ると、「今時の若い者は…」と言いたくなる場面もありますが、じゃあ翻って「自分たちが彼らの年代の時どうだったか?」と振り返ってみると、はるかにワケが悪かったりするわけです。

この辺り、今の高校生も同じような感じです。
これはあくまでも私個人の感じ方ですが、彼らは我々にあったような「年上の者に対する根拠のない傲慢さ」「訳もなく将来を楽観する姿勢」があまりないように思います。比較的に堅実な姿勢で、どちらかというとペシミスティックに考える傾向が強いような…。やはり世の中の雰囲気が彼らに色濃く反映していると思います。

> いいところしか見ていない意見ですが、本当に嬉しいことです☆★

我々はこういう仕事をしていると、知らず知らず「ここが足りない」「なんでこうなんだ!」と若者を批判することが多くなるわけですが…。
そうですよね、良い面も見なくてはいけませんよね。

余談ですが、Fさんのメールを読みながら、自分の結婚式のことを思い出しました。
いろいろ大変でしたが、今思い返してみると、妻との最初の共同作業だったなあ…なんて懐かしく思えます。
ではでは。

2009/3/26 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました。

お久しぶりです7回生(1972年卒業)の笠原重久(ジュネーブ在住)です。新入生を含め学生の方々にとって、今はまさに新しい学年を前に希望を募らせるときでしょうね。

今日(3月24日)記者会見を行いました。バンコクにある国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)事務局の製作した2009年の経済報告書をジュネーブ駐在のジャーナリストを対象に報告するというものでした。この経済年報はアジアを主にあつかうので、委託されたこの記者会見への参加者も日本の新聞社・報道機関のジャーナリストを中心にアジアからの方々が多かったようでした。

先の見えない国際的な経済不況でアジアの諸経済がどこまで落ち込むかというのがジャーナリストの中でも一番興味を引く課題のようでした。我々国際公務員は社会不安をあおるようなことは避けなくてはなりませんが、それでも非現実的な経済予想をすればこの先相手にされなくなります。報告書ではアジア太平洋地域の先進国諸国(日本、オーストラリア、ニュージーランド)全体の年間成長率は−2.2%になっていました。日本と比べで他の2国の経済はとても小さいので、日本経済の予想成長率はこれに数値に近いものでしょうけれども、個人的には私はこれ以上に悲観的です。難しい話はこれくらいにします。

昨年末は武生東高校の国際部2・3年生の方に英語(約1時間)で講演をしました。後で生徒さんからのコメント(すべて英語)を読み、自分の昔と比べて彼らの英語能力の高さに舌を巻きました。元気いっぱいで女の子がたくさんいましたね。新年になり、こちらに戻ってからは仕事(経済調査、公演、出張)に追われ多忙でした。

前回に交流コーナーにお便りをお書きになったFさんがどなたか分りませんが、とても恐縮しています。以前石川県のある町会議員の方々一行に添乗員として一緒にジュネーブの国連においでになった羽水高校の後輩の女性の頭文字は確かにFでした。魅力のある方でしたが、今はヴァンクーバー在住のはずです…(ミステリー)。

笠原重久



笠原さん、こんにちは。メールの掲載が遅れてしまいました。本当に失礼いたしました。

> 先の見えない国際的な経済不況でアジアの諸経済がどこまで落ち込むか

最近、出勤前にNHKラジオのニュースを流しながら身支度をしているのですが、最近は経済問題の解説コーナーを必ず聴くようにしています。なかなかこれと言った打開策は聞かれませんが…。ずっしりとした閉塞感を感じているせいでしょうね。少しでも希望の光を感じていたいのだと思います。
私の身内にも企業や工場で働いている者がおりますが、聞けば聞くほどしんどい状況です。こんな状況だからこそ落ち込んでばかりいてはならないのでしょうが…。

そういった中、常に高校生諸君のパワーに触れている私たちはまだ救われているのかも知れないな…と思っています。笠原さんもおっしゃっていますが、彼らの多くはとても元気です。その元気を分けてもらっているわけですから。頑張らねば。

2009/1/8 卒業生のFさんからメールが届きました。

はじめてメールいたします。92年(?)卒業のものです。 偶然このサイトを見つけて、思わず書き込みしてしまいましたf^_^;
羽高には本当にたくさんの思い出があって、思い出しきれないです(笑) なにを書いていいのやら、、、現役高校生へのメッセージとさせてくださいね。

自分が高校生の頃は将来が漠然としていて、はっきり何がしたいのか分からなかった気がします。 ただただ「田舎の福井」を離れたい、それができる理由を探していただけかもしれません。 今の教育では中学からインターンシップ制度があってとてもうらやましい限りです。羽高にもあ るのでしょうか?

さて、私は漠然とした将来像ながらも、担任が英語の教師(橋本先生)だったおかげで、今でも 英語が大好きです(といっても試験はいつも60点くらいでしたが) 私達世代は就職氷河期の始まりで、学卒女子の就職口がほとんどない中、短大卒の私はUターン 就職で幸いにも語学を生かせる仕事にこの福井で就くことができ、充実した日々を送ってこれました。
もちろん「充実した」と思えるのは今だからです。 20代のころはまさしく一心不乱!目の前の仕事を処理するので精一杯、仕事に追われる毎日で、 いつも背伸びをして、辛くて辛くて、おおげさではなく本当に毎日帰路の車内で泣いていました (涙)何度辞めようと思ったことかっっ。
負けず嫌いは羽高テニス部で培われたものか?赤星先生、今更ながらありがとうございますm(__ )m

経歴は旅行会社の営業/添乗3年、某メーカー9年です。
30代の今は家庭との両立を考え、メーカー勤務時に副業でやっていた司会業のみをしております。 しかしこの年になると不思議と「仕事を追う」余裕が出てくるものですね。
どの仕事も、楽だと思ったことはありませんが、好きでした。
今は仕事を選べない時代なのかもしれません、贅沢に聞こえるかもしれませんが、是非自分の「 好きな仕事」で「達人」を目指してくださいませ!

またまた偶然ですが、国連職員の笠原さんをよく存じ上げておりますが、こちらにレポートを書 いていらっしゃったので、ご縁を感じます(^^)
笠原さんはまさしく私の尊敬する「達人」です。 これからも世界の新風を吹き込んでいただきたいですね。

それではまたお邪魔します。


こんにちは。メールありがとうございます。

> 自分が高校生の頃は将来が漠然としていて、はっきり何がしたいのか分からなかった気がします。

そうですねえ。私の若かりし頃も似たようなものでした(遠い目…)。
今の生徒諸君は、どの学校にいても、かなり進路について考える機会が増えているのではないかと思います。羽水高校も「キャリア教育」の充実を目指して頑張っているところですよ。
これはあくまで私の実感ですが、今の生徒諸君を見ていると、我々の時代よりも先を見据えて行動しようとしている生徒は多いな…と思います。もちろん学校の指導の効果だけではなく、就職状況が私の若い頃(バブル全盛期)とはかなり異なっているということもあるのでしょうけどね。

> 20代のころはまさしく一心不乱!目の前の仕事を処理するので精一杯、仕事に追われる毎日で、 いつも背伸びをして、辛くて辛くて、おおげさではなく本当に毎日帰路の車内で泣いていました (涙)

私も若かりし頃は帰路の車内で自己嫌悪に陥ることが多かったですよ。勤務地が遠く、通勤時間が長いこともあって、本当にグルグルといろんな事を考えました。でも、そうやって一人であれこれ考える時間が、次の行動へのステップにはなっていた気がしますし、実際に(失敗も含めて)思いついたことをいろいろ試してみることで、手に入ったことは多い気がします。やっぱり「辛い時が伸びている時」なんですよね。そういう意味では「背伸び」は辛いですが、得られるものもまたあるのではないかと。

> 30代の今は家庭との両立を考え、
> しかしこの年になると不思議と「仕事を追う」余裕が出てくるものですね。

家庭との両立…私にとっても大きなテーマだったりします(^_^;)。
「仕事を追う」余裕…私にはまだまだそういうのは無いかも知れません(もう40になってしまいましたが)。でも、「ああしたい」「こうしたい」という気持ちは、若いときに比べて、「焦点化」されているとは思います。まあ、あきらめる部分が増えてきた…ということの裏返しなのでしょうが(^_^;)

> 笠原さんはまさしく私の尊敬する「達人」です。 これからも世界の新風を吹き込んでいただきたいですね。

昨年、直接お話をうかがった時には、大きな「パワー」を感じましたよ。
年末に福井に帰省されて、その機会に武生東高校で講演会を行うというお話でした。私もお会いできれば…と思っていたのですが、都合がつかず、残念ながらお会いできませんでした。実は放送部の生徒たちを連れて行って、いろいろ取材させようともくろんでいたのですが。

> それではまたお邪魔します。

最近、ホームページの更新がとぎれがちになっていました。
いろんな方に見ていただけているのだという実感が、担当者にとっては大きな支えになります。
今後も当ホームページをよろしくお願いいたします。


2008/7/2 卒業生の新谷さんからメールが届きました。

昭和51年度(1976)入学の新谷と申します。母校のホームページあるのを発見し、懐かしく拝見しました。

私の実家は、足羽山にあり、帰省のたびに、羽水高校の方向を眺めては、水田ばかりだったところにビルや住宅が建ち並び、見る見る変わってゆく姿に驚きました。

高校生活では吹奏楽部に所属していましたが、当時の顧問の田川先生が、翌年、福井商業へ移られて、その縁で、春の高校野球選抜大会に羽水高校吹奏楽部全員で、応援に出かけました。福井商業は、あれよあれよと勝ち進み、私たちも現地の保育園に泊り込み、応援を続けて、決勝戦。惜しくも、浜松商業に敗れはしましたが、初の高校野球応援が準優勝という貴重な経験をさせていただきました 。

また、コンクールの季節には、板垣橋辺りが打ち上げ会場になり、私たち吹奏楽部員が体育館で合奏練習中に、ドーン、ドーンと頭上で花火が上がっていたことを思い出します。私が3年の頃、アメリカのウイスコン州から留学生を受け入れることになり、緊張した事や、その留学生が福井放送のラジオDJをやったことで、帰国する際のお別れ会にラジオ局が取材に来たことなど、思い出は尽きません。

当時は、クラス委員長を「組長」と呼んでいました。今もそうでしょうか?
私は、幸いにも1,2,3年と組長、2年の後期には生徒副会長をさせていただきました。今は、東京に住んでこちらに、家族が出来ましたが、吹奏楽からオーケストラに変わりましたが今も楽器を続けております。

また、帰省した際は足羽山から、眺めてみようかと楽しみにしております。


こんにちは。掲載が遅れてしまい申し訳ありません。
今年のお盆は帰省なさったのですかね?

> 帰省のたびに、羽水高校の方向を眺めては、水田ばかりだったところにビルや住宅が建ち並び、見る見る変わってゆく姿に驚きました。

私も「羽高トリビア」の執筆などのために、「羽高十年史」などを読んで、その変貌ぶりに改めて驚きました。
足羽川から羽水高校までの間の変化が特に大きいですよね。
実は私、板垣町に親戚が住んでいまして、新谷さんが在学中のころにちょくちょく羽高近辺を散歩していた記憶があります。
まさかあの頃は、自分が勤めることになろうとは思いもしませんでしたが(^_^.)。

> 福井商業は、あれよあれよと勝ち進み、私たちも現地の保育園に泊り込み、応援を続けて、決勝戦。

実は私の実家が福井商業のすぐそばにありまして、福井商業の快進撃の折には盛り上がったものでした。確かあのときは、福井商業のグラウンドに号外を配るためのヘリコプターが何度も飛来していたような…。少年時代の私は、いただいた号外をご近所に配り歩いたものです。吹奏楽部や応援団が懸命に練習しているのも間近で見ていましたので、福井商業の校歌はOBでもないのにばっちり歌えます。決勝戦で浜松商業に敗れたときには、テレビの前で悔し泣きした記憶があります。

> 当時は、クラス委員長を「組長」と呼んでいました。今もそうでしょうか?

今は「級長」ですね。いつから変わったんだろ…また「トリビア」の新たなネタが…。
それはさておき、いよいよ学校祭が始まります。今後出来る限り更新をしていきますので、当HPを読んで昔を偲んでください。
何か思い出話がございましたら、またお寄せ下さいね。ではでは。

2008/5/10 卒業生のはるママさんからメールが届きました。

こんにちは。
なんとなく検索しみたら母校のHP見つけて感動して思わずコメントしています。
私は卒業して約10年になります。
ついこないだのような気がしてるのですが^^;
そうそう、私を含む羽水仲良し同級生3人が同じ時期に出産をして、子ども同士も同級生とゆう奇跡が起きました(笑)
残念ながら私は今県外に住んでいるので学校が一緒とまではいきませんが、とても嬉しいです。

HPの写真をみて、制服は変わらんけどジャージが変わったなぁ。
強歩大会懐かしいなぁ。
としばし思い出にふけりました^^

また遊びにきます☆


こんにちは。メールありがとうございます。

> 私は卒業して約10年になります。
> ついこないだのような気がしてるのですが^^;

そうですか。10年…確かについこの間ですね(^_^;。
自分が高校生の頃は、10年後なんて遥か彼方のことに思えたものですが。
特に30代を越えてから、加速度的に時が過ぎているような気がします。

> そうそう、私を含む羽水仲良し同級生3人が同じ時期に出産をして、子ども同士も同級生とゆう奇跡が起きました(笑)

おぉ、それはそれは。
子ども同士遊ばせておいて、お母さん同士が思い出話に花を咲かせる…なんてシチュエーションがあるかもしれませんね。
私の場合、結婚が比較的に遅かったのですが、何と教え子の娘とウチの娘が同い年…。
同じ学校にならないように祈っています(^_^;)。

>HPの写真をみて、制服は変わらんけどジャージが変わったなぁ。

創立当時から冬服は変わっていないんですよね。
夏服はネクタイが何度か変更されているようですが(制服について参照)。
何でも本校創立当初、藤島出身の先生方と武生出身の先生方の間で、女子の制服をめぐる熱い(?)バトルがあり、僅差でブレザーに決まったと言うことですよ。生徒からは「古い」と語られることの多い制服ですが、卒業してみれば懐かしいもの。大切に着て欲しいですねえ。

2008/3/14 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました。

 7回卒業生の笠原重久(ジュネーブ在住)です。

 昨年12月末33年ぶりの日本での年越しで帰国した際に母校を表敬訪問し校長先生をはじめ職員の方々にもお会いでき楽しいひと時をもつことができました。(帰国が33年ぶりというわけではなくて、冬以外にはこれまで何度も帰国しています。) 柔道の道場にも顔を出しましたが、監督の先生はじめ部員総出で年末の道場掃除の真最中、練習は見ることができませんでした。でも強くなっているのは知っています。

 年始の一週間後にはジュネーブでの生活が始まっており、その後2008年版の経済年報のためにアフリカ諸国の貿易政策を調査しています。2月末は第一稿提出の締め切りで、その間文献と資料を相手にする日が大半でした。でも、その間にロンドン大学の大学院生100名弱が国連に受講に来るとあってその講義の準備もありました。2月14日が講義日で、第2次世界大戦以後の国際協力の流れを説明し始めましたが、与えられた時間が1時間、1970年代初期で時間がなくなり打ち切り。中途半端の終わった講義の後、学生の要望もあり引率してきた教授にロンドンに来て講義を最後までしてくれないかと問われた時は、正直どうしようかと迷いましたが、2月は年報の調査で時間が取れないけれども3月初旬ならば喜んでということで同意しました。

 3月3日・4日は久しぶりのロンドン、質疑時間を含め二日で4時間の講義時間をもらい前回のジュネーブでの講義の続きをしました。でも終わってみると話残したことばかりが気になります。大学院受講生の中に3人の日本人学生がいて、目を輝かせて私の講義を聞いてくれていました。 後で話をすると、みんな必須の読書量でつぶされそうになっているとのこと。私も大学院生のころは一日の大半を図書館で過ごしたと説明したら納得しているようでした。(その3人の中に予防外交の分野で国連職員になりたいという希望を抱いている女性がいました。)

また書きます。

笠原


こんにちは。
掲載がかなり遅れてしまいました。
ホームページの更新自体に手が着いていない状況で…本当に申し訳ないです。

> 職員の方々にもお会いでき楽しいひと時をもつことができました。

その節はいろいろなお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
学校現場にいるだけではうかがうことのできない、スケールの大きな話題ばかりで非常に興味深かったです。

> 後で話をすると、みんな必須の読書量でつぶされそうになっているとのこと。
> 私も大学院生のころは一日の大半を図書館で過ごしたと説明したら納得している
> ようでした。

最先端の学問成果や世界の現状について、本気で学ぼうとするなら、相当量の勉強が必要だと言うことですよね。
先日、生徒に話して聞かせたら、かなり驚いていました。
高校生はまだ学問の入り口にも立っていない状態ですからね。
自分の不勉強ぶりを棚に上げて「勉強しろ!」というのは気が引けますが(^_^;、今後、深遠な世界に触れ、学問の喜びを知ってもらうためにも言い続けなくては…と思っています。


2007/8/21 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。

(送信日時:2007/08/21/15:10:01)

8月11日 無事 合同クラス会開催いたしました。

当日は、幹事、サポートスタッフの協力のもと、約180名の出席者で、あっという間の3時間 が過ぎました。
素人運営の手作りクラス会で、初めての事でもあり、出席者の方には、ご不満もあったかと思い ますが、1年前から同級生の有志によるカタチでなんとかここまでこぎつけました。この場を借 りまして、先生方、出席者の方そして関係スタッフの皆様に御礼申し上げます。

とにかくその後で、二次会、三次会、四次会と盛り上がったクラスも沢山あったようで、やは り30年振りの開催ということで、思い切って開催して良かったと思っています。また終了後は、いろいろと御礼の手紙やメールをいただけて、嬉しい限りです。

 でもネームプレートを付けてもらわなかったら、おそらく誰か分からない人も多かったようで す。髪が薄くなったり、白髪が増えたり、体型が見事に進化?して、華麗なる変貌?をとげてい た人も。何十年ぶりに みんなが集まる場を設定できたことが一番で、早速来年からクラス毎のクラス会を開く・・という話も出たようです。 また40周年に、元気でお会いしたいものです。

金巻 廣校長先生からも、丁重なるメッセージをいただき、誠に有り難うございました。


合同クラス会の成功、おめでとうございます!
そして、1年間のご準備、本当にお疲れ様でした。

>やは り30年振りの開催ということで、思い切って開催して良かったと思っています。

本当によかったですね。
これを機会にクラスメートが交流を再開した例もあるようで…意義深い会になって良かったです。

卒業して数年間は、学生で独身で…ということで時間が自由になりますが、就職したり、家庭を持ったりすると、クラス会といってもなかなか集まれないですよね。かえって、30年経って、子育てが一段落した頃の方が、継続的に集まることができるのかも知れません。

今後もみなさんの交友が続いていくことをお祈りしております。

何はともあれ、齋藤さん、幹事のお仕事お疲れ様でした。


2007/8/3 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。

(送信日時:2007/07/26/21:38:36)

羽水高校 12期生の皆様へ

あと残すところ2週間程度となりました。しばらくこの交流コーナーがお休みだったようで、途中経過をお知らせできずに残念でしたが、7/10現在で、先生6名を含む約200名の出席者となっています。住所不明の方、物故者が70名、そして出席も欠席のお返事もいただけない方が90名もおられるのは少々残念ですが、全体の50%近い人数なので、きっと賑やかな場となると思っています。
各クラスの幹事以外にも10名近くの方がお手伝いを引き受けていただいています。有難うございます!!

またクラスによっては、二次会のセッティングまで準備されているところもあるようです。
とにかく30年振りに会う友人たちの再会をみんなで盛り上げたいと思います。

なお出席の方は、事前に郵便振込していただくことになっています。
またお席も設けますので、会費まだの方は至急振り込んでください。


齊藤さん、こんにちは。

いよいよ8月。まもなく同窓会当日ですね。
どんな様子になるのか…今から楽しみですね。
よろしければ当日の様子などレポートしていただけると幸いです。

他の学年でも同窓会など行っておられるのですかねえ…。
もしもこのHPの記事をご覧になった方で情報をもっておられる方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さいませ。

2007/6/26 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。

(送信日時:2007/05/14/15:36:05)

12期生 合同クラス会 ご案内状発送しました!
今週 各クラスの幹事より、開催案内状を郵送しました。

遅くても6/7までには、皆さんのお手元に到着予定です。 なお準備の都合上、6/23までに同封の返信葉書をご投函ください。

また出席者の方は、同封の郵便払込用紙で、翌月7/25までに会費を事前振込ください。 当日持参はご容赦ください。
またキャンセルの場合は、1週間前の8/3までに必ず幹事宛にご連絡ください。それ以降は準備の関係上ご容赦ください。

30年振りの再会ということで、ぜひこの機会に元気な顔を見せて頂き、懐かしい友人たちと旧交を深めてください。
恩師の方も6/5現在で、前田先生、飛田先生、大嵜先生、宮永先生、森阪先生、稲田先生の6 名がご出席いただける予定です。


齊藤さん、こんにちは。
県のメールサーバ移転などのゴタゴタでメールを見落としていました。本当に申し訳ありません。
すでに一ヶ月以上経ってしまいました。6月23日締め切りの返信はがきは無事到着したのでしょうか。

それにしても、恩師の先生方がこんなに参加されるというのは素晴らしいことですね。
楽しい同窓会になることをお祈りしております。

2007/5/19 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。

(送信日時:2007/05/14/15:36:05)

4月に12期生の合同クラス会の一報をご紹介いただき有り難うございました。
事務局の齋藤達朗です。
お かげさまで、ようやく先生方への確認も済み、また各クラスごとの案内数も把握でき、いよいよ6月初旬到着に向けて、12期生の皆様宛に送付する準備も本格的になってきました。卒業当時 523名でしたが、住所不明や物故者の方もおられ、最終的には、約500名のご案内になるかと思います。

11クラス合同となると 蓋を開けてみるまで、いったいどれくらいの出席があるのかわかりませんが、30周年という節目と、もう二度とない全体のクラス会ということで、何とか250名程度は集まると賑やかになるのでは?と思っています。結構 巷では、クラス会開催の情報が飛び交っているようで、楽しみです。


齋藤さん、こんにちは。

同窓会の準備、着実に進んでいるようで何よりです。250名程度の参加ですか…実現するとすごいですね。

当日の様子などを画像付きで送っていただくと、同窓会のホームページで紹介などできるかと思います。
(実は今年こそ、同窓会のページをつくろうという話になっていますので…)

メールフォームからの画像投稿はできませんので、よろしければまたご連絡ください。
管理人のメールアドレスを連絡させていただきたいと思います。

2007/5/19 卒業生の山本則行さんからメールが届きました

(送信日時:2007/05/05/18:45:25)

こんにちわ

私は第2回卒業生(1967年)です。
随分長い年月が過ぎましたね。私の入学当時はまだ体育館もなく、運動部はよその学校の体育館の隅っこを借りたり、廊下で練習をしていましたね。

トリビアにでていた中庭、これを設計されたと書かれてあった田中先生(旧姓は宮腰先生といわれたと思います)は私の1年生のときの担任で、大変ダンディでかっこよく、女子生徒の憧れの的でしたよ。
小原先生はやはり3年生のときに担任をしていただき、こちらは大変頼りがいのある親分肌の先生で男子生徒に人気の高い先生でした。
卒業後、先生方にお会いすることもなく40年がたちましたが、お二人の先生はお元気でおられるのでしょうか?もしご存知でしたらお教えください。

卒業後福井を離れ、あまり福井に行く機会もありませんでしたが、3年位前に福井に行ったとき、羽高をたずね、町の真ん中にあることに驚きました。私が在学中はまわりは全部田んぼでしたからね。

とりとめのないことを書いてしまいましたが、あまりに懐かしく、ついコメントを書かせていただきました。
皆様のご健勝を祈ります。


山本さん、こんにちは。

これまでメールをいただいた中では、最も古いOBの方ですね。
山本さんの書かれている内容は、私が「羽高トリビア」を書こうとして熟読している「羽高十年史」の内容そのものなので、感慨深いです。

ところで田中、小原両先生についてですが、確認できておりません。
同窓会名簿などにあたってみて確認できましたら、またこの場でお知らせしたいと思います。

ところで…

> 私が在学中はまわりは全部田んぼでしたからね。

この件に関しましては、いずれ「羽高トリビア」に掲載しようと思っていたのです。
もしも、何か思い出話やエピソードがございましたら、またお寄せください。

2007/5/19 卒業生の藤澤芳一さんからメールが届きました

(送信日時:2007/05/04/23:02:04)

1983年卒業生です。突然のメールですみません。たまたま別の事を検索していたらこのHPを見つけました。当時と現在では変わってしまった部分が多いですが、本校舎など変わっていないものはとても懐かしく思います。

実は、最近の中庭を設計したのは私なのです。ランドスケープアーキテクチャーという仕事をしている関係でのめぐり合わせでした。羽水高生にとって、毎日眺める中庭は印象深いものだと思います。このデザインの検討中も変えるもの、変えないものを決めたのですが、曲がった園路と円形の植え込みは変えてはいけない気がしました。それは卒業して20年以上経った私の脳裏にこの形がくっきりと刻まれて、思い出深いものがあったからです。これからも、卒業生が同じ思いを抱いてくれると面白いですね。

中庭の改修で訪れたときに、すれ違う生徒さんが皆、知らない私に挨拶をしてくれたのはとても驚きました。卒業生の間で、「校風変わったな」という話題で盛り上がりましたよ。では、失礼します。


藤澤さん、こんにちは。

羽高トリビア」で中庭のことを話題にしたとき、最後に「現在の中庭についても取材してみたい」と言いましたが、当時のことをご存じの方は既にほとんど転任されているようで、情報がほとんどなかったんですが…。

まさか中庭を設計してくださった方から直接メールをいただけるとは思っていなかったので、とても感激しております。

> このデザインの検討中も変えるもの、変えないものを決めたのですが、曲がった園路と円形の植え込みは
> 変えてはいけない気がしました。

なるほど。やっぱりそういうことだったんですか。あのデザインは意図的に残されたものだったんですね。

ところで、中庭に立っている石柱の数ですが、あれには意味があるのでしょうか?
もしも謂われがあるようでしたら、教えていただけると幸いです。

> 卒業生の間で、「校風変わったな」という話題で盛り上がりましたよ。

私も赴任当初は驚きました。
「挨拶の羽水」という校風をつくろうというムードは、教員・生徒の両方にあるのではないかと思いますね。

2007/4/16 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました

(送信日時:2007/04/05/16:04:30)

初めてメールさせていただきます。
私は、今から30年前に羽水高校を卒業した12期生の齋藤達朗(48)です。
当時は、放送部に在籍しておりました。

今年 2007年は、卒業30周年にあたり、11クラス合同のクラス会を開催することになりました。
昨年8月から各クラスの代表幹事の方に協力をお願いし、現在準備中です。

日程、場所などは決まりました。6月には、卒業生523名の方にご案内する予定です。最初で最後の合同クラス会ですので、ぜひ12期生(昭和52年卒)の方はご出席ください。当時の担任の先生方もお招きする予定です。

    日時  2007年8月11日(土) 18:00〜
    場所  福井ワシントンホテル 天山の間
    会費  10,000円 (事前振込方式)

その他詳細のご案内は、6月までお待ちください。


齋藤さん、こんにちは。掲載が遅れてしまい、申し訳ありません。

かなり大規模な同窓会を開催されるようで、準備の方もかなり大変だろうと推察します。

しかし、これがきっかけとなって交流が復活する可能性もあるわけで、おそらく参加される方々にとって意義深い同窓会になるだろうと思います。ぜひ成功させてくださいね。多くの方々が参加されることをお祈りしています。

2007/04/20 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました

(送信日時:2007/03/28/06:38:25)

私が送ったものが交流コーナーへ届いた最初のメールということで驚きそして光栄に思っています。

ホーム・ページの紹介された新入生の合格発表や旅立つ卒業生の様子を見て、30数年前の自分のことを思い出しました。今が一年の中で若者たちに一番希望が抱かせる季節のでしょう。

2 月、3月と多忙でした。2月初旬のカイロへの出張(5日間)は、仕事ですが気晴らしになるだろうと期待していました。鹿児島県の更に南の海上あたりの緯度 に相当するところですから、ジュネーブの寒さからはよい一時避難になると思っていました。ところが、出る1週間前から厄介な風邪をひき体調不良の状況で出 張することになりました。そして着いてみると肌寒く、昼の最高気温も摂氏20度には届きません、例年には無いとのこと・・・。

この出張の 目的は、アフリカの国々から集まった政府の開発や貿易の分野の担当官に政策助言をすることで、参加者は中央官庁(日本で言えば貿易産業省、財務省、外務省 にあたるもの)の官僚が中心で、その他には大学の教授の参加もありました。1時間前後の講演(プレゼン)を3度したほかは、多くの討論会に参加が主な仕事 でした。

抗生物質を服用しながらの毎日で、観光する気力も体力も無く、仕事以外でホテルの外に出たのは、到着した最初の日の夜に同僚達と 一緒に出かけたレバノン・レストランでの夕食と、出発前日に行ったカイロ考古学博物館ぐらいでした。レバノン・レストランは素敵なところで、料理は主にグ リルでの焼肉や焼き魚が山盛りになって出てきて、とても食べきれる量ではありませんでした。また、各テーブルの横には水パイプが置いてあり、それを吸いな がらの食事で、若い女性も含めてぶくぶくやっていました。これは日本では見られない風景です。イスラム教の国ですが、レストランではアルコール飲料も飲め ますが、街中のコンビニではそれらを買うことが出来ませんでした。(最初の夜以降は、食事もホテル内のイタリアンまたはタイ・レストランか、ルーム・サー ビス(シシケバブ)ですませました。)

続きは次回書きます


こんにちは。

年度初めの慌ただしさに取り紛れて、掲載がかなり遅れてしまいました。申し訳ありません。

それにしても風邪をひいての出張、大変でしたね。
出張時に体調を崩すというのは、何とも悲しいというか、辛いというか…。
代役がいない状況では休みをいただくわけにもいかないですしね。
我々も生徒引率の時に体調が悪かったりすると、かなり困ってしまいます。

ところで…レバノン・レストランの「水パイプ」とは何ぞや?と思い、インターネットで調べてみたのですが、水タバコのことなんですね。
何となくテレビ番組で見たような記憶はあるのですが、はじめてどういうものかが分かりました。
これって福井に住んでいると、まずお目にかかれないものですよね。
何というか…文化の違いって面白いものだなと改めて思います。

2007/02/26 卒業生の野路幸一さんからメールが届きました

(送信日時:2007/02/10/23:52:06)

はじめまして! 私は羽水高校卒業生の野路幸一と言います☆

今回 何気なく母校の名前を検索してみたら こんな立派なHPができているじゃないですか (^ヮ^) 色んなページを見させていただきながら現在の生徒会も頑張ってるなァと感じました‥‥→ そう!私も羽水高校で生徒会をさせて頂いていた一人です☆ (平成3・4年度だったかな?)

早いもので 卒業してからこの春で15年程経とうとしています(^_^;) 現在の私は東海地方に住み(ジュネーブ‥‥ではありません★) 昨年末にサロ ンをOPENさせました☆ そうですッ 美容師をやっています!(国連職員‥‥でもありません★) この業界に入ってからの目標だった独立を果たし 次の新しい目標に向かって 『お客様に心から 信頼されるサロン』を目指して スタッフと一緒に頑張っています(^ヮ^)/

今 羽水高校のみんなは 勉強に部活動に(恋愛に☆)と 自分の将来の為に頑張っていると思います☆ その努力は 色んなカタチで必ず自分の力になってくるので 今しかない高校3年間を何かに熱中して 思いっきり楽しんでもらいたいなと思います☆

何か最後は オヤジの説教臭くなってしまいましたが(-_-;) こうして母校の今を知ることができ 嬉しかったです☆ またのぞいて見ますので 同窓会のページ作り頑張ってくださいね(^ヮ^)/ 私も初心を忘れず 明日からもガンバリマス☆

笠原サンの後にこんなんで良かったのかなァ‥‥(^_^;)


野路さん、こんにちは。

管理人が吹奏楽部のページの作成にかかりきりで掲載がとても遅れました。
本当に申し訳ありません。

> そう!私も羽水高校で生徒会をさせて頂いていた一人です

生徒会活動をなさっていたということは、学校祭などでもいろんな活躍をされたんでしょうね。
私は今年はじめて羽水高校の生徒会活動や学校祭を見せていただきました。
至らない点やもっと自力で頑張って欲しいなと思う点もありますが、総体的に見れば、みんな忙しい中よく頑張っているな…と好印象を持っています。

>『お客様に心から 信頼されるサロン』を目指して スタッフと一緒に頑張っています(^ヮ^)/

おおっ!独立おめでとうございます!
とはいうものの、これからが正念場…というところでしょうか?
スタッフを束ね、いろんなことに責任を負っていくというのは大変なんでしょうねえ。
でも、やりがいがありそうです。頑張ってください!

>今しかない高校3年間を何かに熱中して 思いっきり楽しんでもらいたいなと思います☆

本当にそう思いますね。
生徒諸君にはいろんなことに対し、貪欲に前向きに取り組んで欲しいです。
人は、そうやって 何かを一心に追究しもがいていく中で、周囲の協力や助けに気づき、大人へと成長して行くわけで、 「楽しみ」っていうのはそういう生活の中で見つけていくものなのではないかなと思います。

>笠原サンの後にこんなんで良かったのかなァ‥‥(^_^;)

いやいや、良いと思いますよ!
いろんなOBの方がそれぞれの世界で、充実した生活を送っているということが伝わることに価値があるのだと思いますので。

2007/01/30 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました

(送信日時:2007/01/25/09:26:15)

前略

私は第七回卒業生(1972年卒業)の笠原重久というものです。1990年から今に至るまで、スイス、ジュネーブの国連事務局(正確には国連貿易開発会議(UNCTAD)議事務局)で経済担当官をしております。その前は米国で大学及び大学院に通い、その後米国にとどまり公務員や教員の 経歴を持ちました。早いもので海外での生活の方が日本での生活よりも長くなりました。

国連の現在の職務は経済開発に関する年報の作成が中 心でそのための調査で時間を使います。私の今現在における調査の対象は東アジアの地域統合と協力での日本の役割の歴史的な調査です。また、調査以外でも、 開発政策関連の援助を途上国間で出向いていって行うこともあれば、国連を訪れる大学生や大学院生などにも要請があれば開発経済政策史などの講演もします。 (2月初旬にはエジプトに飛びます。)

国連は以前から日本人職員がとても少なく、私は福井県出身の同僚に今だかって会ったことがありません。いつか母校の羽水高校の後輩から私のような国際公務員のキャリアを目指す方が出て欲しいものだと思っています。必要とあれば、例えば例年の帰国(帰省)の際などに、母校を訪れて話などして協力させていただきたい気持ちです。

以前、確か2004年の秋でしょうか、羽水高校の図書館で出版論文の作成をさせてもらった記憶があります。今考えたことなのですが、もし羽水高校の図書館に卒業生による出版物のコーナーがあれば在学生の方々によい 刺激があるかもしれませんね。その趣旨を同窓会等を通して知らせれば、出版物が卒業生から集まると思いますが…。もしそうなれば、もちろん私も出版物(英 文のほうが多いのですが)を寄贈させてもらいます。

最後になりましたが、このような羽水高校OBを含む関係者の交流の場が出来たこと最近になって気が付きましたが、とても嬉しく思っております。これで旧友との親睦も新たにできるのではないかと期待しています。乱文で失礼いたしました。



笠原重久
ジュネーブ


笠原さん、メールありがとうございます。

> スイス、ジュネーブの国連事務局(正確には国連貿易開発会議(UNCTAD)議事務局)で経済担当官をしております。

おおっ!交流コーナー1通目のメールが海外の最前線で活躍されている方からのメールとは…。
何ともうれしい限りです。海外でも見てくださっている方がいらっしゃると思うと、webページの更新にも張り合いが出ます。

それにしてもお忙しそうですね。今頃はエジプト行きの準備をされているところでしょうか?でも、その一方でとても充実した生活を送っておられるということが、文面の端々から感じられます。自分の仕事に誇りを感じることができるというのはとても素晴らしいことですし、本校の生徒諸君も是非そういった道を探して欲しいですね。

> 国連は以前から日本人職員がとても少なく、私は福井県出身の同僚に今だかって会ったことがありません。

ふむ…国際公務員を目指す気持ちはあっても、どうすればいいのか分からないという諸君が多いのではないですかね。あと、国際公務員の仕事内容をあまり知らないとか…。
そういう意味では、現場で働いておられる笠原さんのような方に教えていただくのは良い機会になるでしょうね。

直接お話ししていただく機会があればよいのですが、そうでなくてもこうしたメールでいろんな情報をいただけると生徒諸君の刺激になるのではないかと考えます。幸い、管理人はLL室におりますので、メールを掲示するなんていうのもありかな…と思います。

> もし羽水高校の図書館に卒業生による出版物のコーナーがあれば

さっそく担当の先生に提案させていただきます。
…そういえば同窓会のページ、作成しないと行けないですね(^_^;。

> このような羽水高校OBを含む関係者の交流の場が出来たこと最近になって気が付きましたが、とても嬉しく思っております。これで旧友との親睦も新たにできるのではないかと期待しています。

そうですね。是非、OBの方々にはこのページを通して交流を新たにしていただければと思います。

追伸
柔道部顧問の先生が笠原さんを存じ上げているということをおっしゃってましたよ。帰省された際に、柔道部の練習に参加されたとか…。機会があれば、またいらっしゃってくださいね。

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