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交流コーナーこのコーナーでは当ページに送付されたメールを紹介していきます。投稿はメールフォームからどうぞ! 2010/4/1 卒業生の吉田さんかメールが届きました。 56年卒業のものです。 52年に足羽高校が新設され、その1期生との関係で、羽水高校は二年間、定員割れを起こし、 演劇部に在籍していましたが、当時、学校全体が演劇が盛んで、文化祭では、色別対抗演劇祭が 顔は皆さん知ってますよね。 当時は、野球好きな人間は、全国大会に行ける、軟式野球を選択するものが多く、硬式野球部は ちょうど私たちの世代が、福井放送が移転してきて、田んぼの真ん中から、建物乱立の時期でし 余談ですが、足羽高校は当時、男女交際禁止、見付かったら停学でした。今の世代の子が聞いた
2009/6/14 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました。 メッセージ: 先週末(6月第1週)、ドイツのライプツィヒで開かれた欧州アフリカ研究学会に行ってきました。 ライブティヒ空港からホテルまでタクシーに乗りましたが、150キロで走られた時は、ドイツの道路事情と車の機能に感心しました。ちょうど街はサマーフェスティバルを始まった時で、多くの人たちがいろんな屋台が並ぶ街中にくり出していました。また、あちこちで作られたステージでは、1970年代のアメリカのロックン・ロールが演奏されていました。この地が20年前まで「鉄のカーテン」の向こう側にあったことは、想像がつきませんでした。 私が呼ばれたのは「アフリカの地域統合」について検討する円卓会議でした。ちょうど最近数カ月にわたって2009年のアフリカ開発レポートのために研究してきた課題だったので、話したいことはたくさんありましたが時間がたりなかった。来月(7月)、このレポートの報告会(主にメディア、大学・政府関係者、内外外交官を対象)を東京でおこない、そのあとで福井に帰省します。夏の休暇は書きさしの原稿を終わらせるために使うことになります。 また連絡いたします。 笠原 笠原さん、こんにちは。 ライプツィヒ大学…名門ですよね。たしかゲーテやニーチェもここで学んだような…(と、ここでwikipediaを調べてみました)。おお!やヴントやデュルケーム、シューマンにワーグナー、朝永振一郎…etc…
2009/5/8 卒業生の新谷さんからメールが届きました掲載ありがとうございます。羽水高校吹奏楽部のHPから辿ってまいりましたが、選考でボツになったかと思っていました(笑。 福井商業の春の高校野球応援で吹奏楽部が甲子園に行った時のことを書かせていただきましたが、私の卒業した年に、羽水高校吹奏楽部第一回定期演奏会を開催しました。途中中断した時期があり、また再開されたとのこと、嬉しく思います。 私は東京で現在もアマチュアオーケストラでトランペットを吹いています。 羽水OBや在学生の方で、東京で活動の場所を探している方は、一緒に活動できると良いですね。 先日、武生東高校の吹奏楽顧問でしたU先生と東京で、一緒に呑む機会があり、懐かしい福井の話に花が咲きました。 さて、生徒会副会長だった時の思い出ですが、生徒総会の議題で「食堂のカレーライスに肉を入れて下さい。」というものがあったことを思い出しました。 当時の食堂のメニューは カレーは玉ねぎとニンジンしか入ってなかった為、食べざかりの羽水高生には、かなり物足りなかったのを覚えています。では、値段を20円値上げして、鳥のひき肉を入れるということで決着しました。 今でもカレーライスを見るたびに、玉ねぎカレーをふと思い出しニヤリとしてしまいます。 卒業式のくす玉について 生徒会の最後のイベントは卒業式のくす玉作りでした。これが、毎年、うまく割れませんw。 新谷さん、こんにちは。またまた掲載が遅れてしまい申し訳ありません。 それにても…新谷さんがご卒業の年に第一回定期演奏会ですか…歴史を感じますねえ。 >生徒総会の議題で「食堂のカレーライスに肉を入れて下さい。」というものがあった これまたすごい議題ですね(笑)。トリビアに入れられそうだ…議事録とかないのかなあ…。 >卒業式のくす玉について これは…全く知りませんでした。へえ…いつまで続いていたんでしょうね。 2009/4/22 卒業生のFさんからメールが届きました。 4ヶ月ぶりにお邪魔しました、92年卒OBのFと申します。 また、ここ最近、平成生まれを何度となくお世話することがありました。 ではまたお邪魔します。 Fさん、こんにちは。 なるほどブライダル業界にいらっしゃるFさんならではの新鮮な視点ですね。 この辺り、今の高校生も同じような感じです。 > いいところしか見ていない意見ですが、本当に嬉しいことです☆★ 我々はこういう仕事をしていると、知らず知らず「ここが足りない」「なんでこうなんだ!」と若者を批判することが多くなるわけですが…。 余談ですが、Fさんのメールを読みながら、自分の結婚式のことを思い出しました。 2009/3/26 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました。お久しぶりです7回生(1972年卒業)の笠原重久(ジュネーブ在住)です。新入生を含め学生の方々にとって、今はまさに新しい学年を前に希望を募らせるときでしょうね。 今日(3月24日)記者会見を行いました。バンコクにある国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)事務局の製作した2009年の経済報告書をジュネーブ駐在のジャーナリストを対象に報告するというものでした。この経済年報はアジアを主にあつかうので、委託されたこの記者会見への参加者も日本の新聞社・報道機関のジャーナリストを中心にアジアからの方々が多かったようでした。 先の見えない国際的な経済不況でアジアの諸経済がどこまで落ち込むかというのがジャーナリストの中でも一番興味を引く課題のようでした。我々国際公務員は社会不安をあおるようなことは避けなくてはなりませんが、それでも非現実的な経済予想をすればこの先相手にされなくなります。報告書ではアジア太平洋地域の先進国諸国(日本、オーストラリア、ニュージーランド)全体の年間成長率は−2.2%になっていました。日本と比べで他の2国の経済はとても小さいので、日本経済の予想成長率はこれに数値に近いものでしょうけれども、個人的には私はこれ以上に悲観的です。難しい話はこれくらいにします。 昨年末は武生東高校の国際部2・3年生の方に英語(約1時間)で講演をしました。後で生徒さんからのコメント(すべて英語)を読み、自分の昔と比べて彼らの英語能力の高さに舌を巻きました。元気いっぱいで女の子がたくさんいましたね。新年になり、こちらに戻ってからは仕事(経済調査、公演、出張)に追われ多忙でした。 前回に交流コーナーにお便りをお書きになったFさんがどなたか分りませんが、とても恐縮しています。以前石川県のある町会議員の方々一行に添乗員として一緒にジュネーブの国連においでになった羽水高校の後輩の女性の頭文字は確かにFでした。魅力のある方でしたが、今はヴァンクーバー在住のはずです…(ミステリー)。
> 先の見えない国際的な経済不況でアジアの諸経済がどこまで落ち込むか 最近、出勤前にNHKラジオのニュースを流しながら身支度をしているのですが、最近は経済問題の解説コーナーを必ず聴くようにしています。なかなかこれと言った打開策は聞かれませんが…。ずっしりとした閉塞感を感じているせいでしょうね。少しでも希望の光を感じていたいのだと思います。 そういった中、常に高校生諸君のパワーに触れている私たちはまだ救われているのかも知れないな…と思っています。笠原さんもおっしゃっていますが、彼らの多くはとても元気です。その元気を分けてもらっているわけですから。頑張らねば。 2009/1/8 卒業生のFさんからメールが届きました。 はじめてメールいたします。92年(?)卒業のものです。 偶然このサイトを見つけて、思わず書き込みしてしまいましたf^_^; 自分が高校生の頃は将来が漠然としていて、はっきり何がしたいのか分からなかった気がします。 ただただ「田舎の福井」を離れたい、それができる理由を探していただけかもしれません。 今の教育では中学からインターンシップ制度があってとてもうらやましい限りです。羽高にもあ るのでしょうか? さて、私は漠然とした将来像ながらも、担任が英語の教師(橋本先生)だったおかげで、今でも 英語が大好きです(といっても試験はいつも60点くらいでしたが) 私達世代は就職氷河期の始まりで、学卒女子の就職口がほとんどない中、短大卒の私はUターン 就職で幸いにも語学を生かせる仕事にこの福井で就くことができ、充実した日々を送ってこれました。 経歴は旅行会社の営業/添乗3年、某メーカー9年です。 またまた偶然ですが、国連職員の笠原さんをよく存じ上げておりますが、こちらにレポートを書 いていらっしゃったので、ご縁を感じます(^^) それではまたお邪魔します。 こんにちは。メールありがとうございます。 > 自分が高校生の頃は将来が漠然としていて、はっきり何がしたいのか分からなかった気がします。 そうですねえ。私の若かりし頃も似たようなものでした(遠い目…)。 > 20代のころはまさしく一心不乱!目の前の仕事を処理するので精一杯、仕事に追われる毎日で、 いつも背伸びをして、辛くて辛くて、おおげさではなく本当に毎日帰路の車内で泣いていました (涙) 私も若かりし頃は帰路の車内で自己嫌悪に陥ることが多かったですよ。勤務地が遠く、通勤時間が長いこともあって、本当にグルグルといろんな事を考えました。でも、そうやって一人であれこれ考える時間が、次の行動へのステップにはなっていた気がしますし、実際に(失敗も含めて)思いついたことをいろいろ試してみることで、手に入ったことは多い気がします。やっぱり「辛い時が伸びている時」なんですよね。そういう意味では「背伸び」は辛いですが、得られるものもまたあるのではないかと。 > 30代の今は家庭との両立を考え、 家庭との両立…私にとっても大きなテーマだったりします(^_^;)。 > 笠原さんはまさしく私の尊敬する「達人」です。 これからも世界の新風を吹き込んでいただきたいですね。 昨年、直接お話をうかがった時には、大きな「パワー」を感じましたよ。 > それではまたお邪魔します。 最近、ホームページの更新がとぎれがちになっていました。 2008/7/2 卒業生の新谷さんからメールが届きました。昭和51年度(1976)入学の新谷と申します。母校のホームページあるのを発見し、懐かしく拝見しました。 私の実家は、足羽山にあり、帰省のたびに、羽水高校の方向を眺めては、水田ばかりだったところにビルや住宅が建ち並び、見る見る変わってゆく姿に驚きました。 高校生活では吹奏楽部に所属していましたが、当時の顧問の田川先生が、翌年、福井商業へ移られて、その縁で、春の高校野球選抜大会に羽水高校吹奏楽部全員で、応援に出かけました。福井商業は、あれよあれよと勝ち進み、私たちも現地の保育園に泊り込み、応援を続けて、決勝戦。惜しくも、浜松商業に敗れはしましたが、初の高校野球応援が準優勝という貴重な経験をさせていただきました 。 また、コンクールの季節には、板垣橋辺りが打ち上げ会場になり、私たち吹奏楽部員が体育館で合奏練習中に、ドーン、ドーンと頭上で花火が上がっていたことを思い出します。私が3年の頃、アメリカのウイスコン州から留学生を受け入れることになり、緊張した事や、その留学生が福井放送のラジオDJをやったことで、帰国する際のお別れ会にラジオ局が取材に来たことなど、思い出は尽きません。 当時は、クラス委員長を「組長」と呼んでいました。今もそうでしょうか? また、帰省した際は足羽山から、眺めてみようかと楽しみにしております。 こんにちは。掲載が遅れてしまい申し訳ありません。 > 帰省のたびに、羽水高校の方向を眺めては、水田ばかりだったところにビルや住宅が建ち並び、見る見る変わってゆく姿に驚きました。 私も「羽高トリビア」の執筆などのために、「羽高十年史」などを読んで、その変貌ぶりに改めて驚きました。 > 福井商業は、あれよあれよと勝ち進み、私たちも現地の保育園に泊り込み、応援を続けて、決勝戦。 実は私の実家が福井商業のすぐそばにありまして、福井商業の快進撃の折には盛り上がったものでした。確かあのときは、福井商業のグラウンドに号外を配るためのヘリコプターが何度も飛来していたような…。少年時代の私は、いただいた号外をご近所に配り歩いたものです。吹奏楽部や応援団が懸命に練習しているのも間近で見ていましたので、福井商業の校歌はOBでもないのにばっちり歌えます。決勝戦で浜松商業に敗れたときには、テレビの前で悔し泣きした記憶があります。 > 当時は、クラス委員長を「組長」と呼んでいました。今もそうでしょうか? 今は「級長」ですね。いつから変わったんだろ…また「トリビア」の新たなネタが…。 2008/5/10 卒業生のはるママさんからメールが届きました。 こんにちは。 HPの写真をみて、制服は変わらんけどジャージが変わったなぁ。 また遊びにきます☆ こんにちは。メールありがとうございます。 > 私は卒業して約10年になります。 そうですか。10年…確かについこの間ですね(^_^;。 > そうそう、私を含む羽水仲良し同級生3人が同じ時期に出産をして、子ども同士も同級生とゆう奇跡が起きました(笑) おぉ、それはそれは。 >HPの写真をみて、制服は変わらんけどジャージが変わったなぁ。 創立当時から冬服は変わっていないんですよね。 2008/3/14 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました。7回卒業生の笠原重久(ジュネーブ在住)です。 昨年12月末33年ぶりの日本での年越しで帰国した際に母校を表敬訪問し校長先生をはじめ職員の方々にもお会いでき楽しいひと時をもつことができました。(帰国が33年ぶりというわけではなくて、冬以外にはこれまで何度も帰国しています。) 柔道の道場にも顔を出しましたが、監督の先生はじめ部員総出で年末の道場掃除の真最中、練習は見ることができませんでした。でも強くなっているのは知っています。 年始の一週間後にはジュネーブでの生活が始まっており、その後2008年版の経済年報のためにアフリカ諸国の貿易政策を調査しています。2月末は第一稿提出の締め切りで、その間文献と資料を相手にする日が大半でした。でも、その間にロンドン大学の大学院生100名弱が国連に受講に来るとあってその講義の準備もありました。2月14日が講義日で、第2次世界大戦以後の国際協力の流れを説明し始めましたが、与えられた時間が1時間、1970年代初期で時間がなくなり打ち切り。中途半端の終わった講義の後、学生の要望もあり引率してきた教授にロンドンに来て講義を最後までしてくれないかと問われた時は、正直どうしようかと迷いましたが、2月は年報の調査で時間が取れないけれども3月初旬ならば喜んでということで同意しました。 3月3日・4日は久しぶりのロンドン、質疑時間を含め二日で4時間の講義時間をもらい前回のジュネーブでの講義の続きをしました。でも終わってみると話残したことばかりが気になります。大学院受講生の中に3人の日本人学生がいて、目を輝かせて私の講義を聞いてくれていました。
後で話をすると、みんな必須の読書量でつぶされそうになっているとのこと。私も大学院生のころは一日の大半を図書館で過ごしたと説明したら納得しているようでした。(その3人の中に予防外交の分野で国連職員になりたいという希望を抱いている女性がいました。) また書きます。 笠原 こんにちは。 > 職員の方々にもお会いでき楽しいひと時をもつことができました。 その節はいろいろなお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。 > 後で話をすると、みんな必須の読書量でつぶされそうになっているとのこと。 最先端の学問成果や世界の現状について、本気で学ぼうとするなら、相当量の勉強が必要だと言うことですよね。 2007/8/21 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。(送信日時:2007/08/21/15:10:01) 8月11日 無事 合同クラス会開催いたしました。 当日は、幹事、サポートスタッフの協力のもと、約180名の出席者で、あっという間の3時間 が過ぎました。 とにかくその後で、二次会、三次会、四次会と盛り上がったクラスも沢山あったようで、やは り30年振りの開催ということで、思い切って開催して良かったと思っています。また終了後は、いろいろと御礼の手紙やメールをいただけて、嬉しい限りです。 でもネームプレートを付けてもらわなかったら、おそらく誰か分からない人も多かったようで す。髪が薄くなったり、白髪が増えたり、体型が見事に進化?して、華麗なる変貌?をとげてい た人も。何十年ぶりに みんなが集まる場を設定できたことが一番で、早速来年からクラス毎のクラス会を開く・・という話も出たようです。 また40周年に、元気でお会いしたいものです。 金巻 廣校長先生からも、丁重なるメッセージをいただき、誠に有り難うございました。 合同クラス会の成功、おめでとうございます! >やは り30年振りの開催ということで、思い切って開催して良かったと思っています。 本当によかったですね。 卒業して数年間は、学生で独身で…ということで時間が自由になりますが、就職したり、家庭を持ったりすると、クラス会といってもなかなか集まれないですよね。かえって、30年経って、子育てが一段落した頃の方が、継続的に集まることができるのかも知れません。 今後もみなさんの交友が続いていくことをお祈りしております。 何はともあれ、齋藤さん、幹事のお仕事お疲れ様でした。 2007/8/3 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。(送信日時:2007/07/26/21:38:36) 羽水高校 12期生の皆様へ またクラスによっては、二次会のセッティングまで準備されているところもあるようです。 なお出席の方は、事前に郵便振込していただくことになっています。 齊藤さん、こんにちは。 いよいよ8月。まもなく同窓会当日ですね。 他の学年でも同窓会など行っておられるのですかねえ…。 2007/6/26 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。(送信日時:2007/05/14/15:36:05) 12期生 合同クラス会 ご案内状発送しました! 遅くても6/7までには、皆さんのお手元に到着予定です。 なお準備の都合上、6/23までに同封の返信葉書をご投函ください。 また出席者の方は、同封の郵便払込用紙で、翌月7/25までに会費を事前振込ください。 当日持参はご容赦ください。 30年振りの再会ということで、ぜひこの機会に元気な顔を見せて頂き、懐かしい友人たちと旧交を深めてください。 齊藤さん、こんにちは。 それにしても、恩師の先生方がこんなに参加されるというのは素晴らしいことですね。 2007/5/19 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました。(送信日時:2007/05/14/15:36:05) 齋藤さん、こんにちは。 同窓会の準備、着実に進んでいるようで何よりです。250名程度の参加ですか…実現するとすごいですね。 当日の様子などを画像付きで送っていただくと、同窓会のホームページで紹介などできるかと思います。 メールフォームからの画像投稿はできませんので、よろしければまたご連絡ください。 2007/5/19 卒業生の山本則行さんからメールが届きました(送信日時:2007/05/05/18:45:25) こんにちわ 山本さん、こんにちは。 これまでメールをいただいた中では、最も古いOBの方ですね。 ところで田中、小原両先生についてですが、確認できておりません。 ところで… > 私が在学中はまわりは全部田んぼでしたからね。 この件に関しましては、いずれ「羽高トリビア」に掲載しようと思っていたのです。 2007/5/19 卒業生の藤澤芳一さんからメールが届きました(送信日時:2007/05/04/23:02:04) 1983年卒業生です。突然のメールですみません。たまたま別の事を検索していたらこのHPを見つけました。当時と現在では変わってしまった部分が多いですが、本校舎など変わっていないものはとても懐かしく思います。 実は、最近の中庭を設計したのは私なのです。ランドスケープアーキテクチャーという仕事をしている関係でのめぐり合わせでした。羽水高生にとって、毎日眺める中庭は印象深いものだと思います。このデザインの検討中も変えるもの、変えないものを決めたのですが、曲がった園路と円形の植え込みは変えてはいけない気がしました。それは卒業して20年以上経った私の脳裏にこの形がくっきりと刻まれて、思い出深いものがあったからです。これからも、卒業生が同じ思いを抱いてくれると面白いですね。 中庭の改修で訪れたときに、すれ違う生徒さんが皆、知らない私に挨拶をしてくれたのはとても驚きました。卒業生の間で、「校風変わったな」という話題で盛り上がりましたよ。では、失礼します。 藤澤さん、こんにちは。 「羽高トリビア」で中庭のことを話題にしたとき、最後に「現在の中庭についても取材してみたい」と言いましたが、当時のことをご存じの方は既にほとんど転任されているようで、情報がほとんどなかったんですが…。 まさか中庭を設計してくださった方から直接メールをいただけるとは思っていなかったので、とても感激しております。 > このデザインの検討中も変えるもの、変えないものを決めたのですが、曲がった園路と円形の植え込みは なるほど。やっぱりそういうことだったんですか。あのデザインは意図的に残されたものだったんですね。 ところで、中庭に立っている石柱の数ですが、あれには意味があるのでしょうか? > 卒業生の間で、「校風変わったな」という話題で盛り上がりましたよ。 私も赴任当初は驚きました。 2007/4/16 卒業生の齋藤達朗さんからメールが届きました(送信日時:2007/04/05/16:04:30) 初めてメールさせていただきます。 今年 2007年は、卒業30周年にあたり、11クラス合同のクラス会を開催することになりました。 日程、場所などは決まりました。6月には、卒業生523名の方にご案内する予定です。最初で最後の合同クラス会ですので、ぜひ12期生(昭和52年卒)の方はご出席ください。当時の担任の先生方もお招きする予定です。
日時 2007年8月11日(土) 18:00〜 その他詳細のご案内は、6月までお待ちください。 齋藤さん、こんにちは。掲載が遅れてしまい、申し訳ありません。 かなり大規模な同窓会を開催されるようで、準備の方もかなり大変だろうと推察します。 しかし、これがきっかけとなって交流が復活する可能性もあるわけで、おそらく参加される方々にとって意義深い同窓会になるだろうと思います。ぜひ成功させてくださいね。多くの方々が参加されることをお祈りしています。 2007/04/20 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました(送信日時:2007/03/28/06:38:25) 私が送ったものが交流コーナーへ届いた最初のメールということで驚きそして光栄に思っています。 ホーム・ページの紹介された新入生の合格発表や旅立つ卒業生の様子を見て、30数年前の自分のことを思い出しました。今が一年の中で若者たちに一番希望が抱かせる季節のでしょう。 2 月、3月と多忙でした。2月初旬のカイロへの出張(5日間)は、仕事ですが気晴らしになるだろうと期待していました。鹿児島県の更に南の海上あたりの緯度 に相当するところですから、ジュネーブの寒さからはよい一時避難になると思っていました。ところが、出る1週間前から厄介な風邪をひき体調不良の状況で出 張することになりました。そして着いてみると肌寒く、昼の最高気温も摂氏20度には届きません、例年には無いとのこと・・・。 この出張の 目的は、アフリカの国々から集まった政府の開発や貿易の分野の担当官に政策助言をすることで、参加者は中央官庁(日本で言えば貿易産業省、財務省、外務省 にあたるもの)の官僚が中心で、その他には大学の教授の参加もありました。1時間前後の講演(プレゼン)を3度したほかは、多くの討論会に参加が主な仕事 でした。 抗生物質を服用しながらの毎日で、観光する気力も体力も無く、仕事以外でホテルの外に出たのは、到着した最初の日の夜に同僚達と 一緒に出かけたレバノン・レストランでの夕食と、出発前日に行ったカイロ考古学博物館ぐらいでした。レバノン・レストランは素敵なところで、料理は主にグ リルでの焼肉や焼き魚が山盛りになって出てきて、とても食べきれる量ではありませんでした。また、各テーブルの横には水パイプが置いてあり、それを吸いな がらの食事で、若い女性も含めてぶくぶくやっていました。これは日本では見られない風景です。イスラム教の国ですが、レストランではアルコール飲料も飲め ますが、街中のコンビニではそれらを買うことが出来ませんでした。(最初の夜以降は、食事もホテル内のイタリアンまたはタイ・レストランか、ルーム・サー ビス(シシケバブ)ですませました。) 続きは次回書きます こんにちは。 年度初めの慌ただしさに取り紛れて、掲載がかなり遅れてしまいました。申し訳ありません。 それにしても風邪をひいての出張、大変でしたね。 ところで…レバノン・レストランの「水パイプ」とは何ぞや?と思い、インターネットで調べてみたのですが、水タバコのことなんですね。 2007/02/26 卒業生の野路幸一さんからメールが届きました(送信日時:2007/02/10/23:52:06) はじめまして! 私は羽水高校卒業生の野路幸一と言います☆ 今回 何気なく母校の名前を検索してみたら こんな立派なHPができているじゃないですか (^ヮ^) 色んなページを見させていただきながら現在の生徒会も頑張ってるなァと感じました‥‥→ そう!私も羽水高校で生徒会をさせて頂いていた一人です☆ (平成3・4年度だったかな?) 野路さん、こんにちは。 > そう!私も羽水高校で生徒会をさせて頂いていた一人です 生徒会活動をなさっていたということは、学校祭などでもいろんな活躍をされたんでしょうね。 >『お客様に心から 信頼されるサロン』を目指して スタッフと一緒に頑張っています(^ヮ^)/ おおっ!独立おめでとうございます! >今しかない高校3年間を何かに熱中して 思いっきり楽しんでもらいたいなと思います☆ 本当にそう思いますね。 >笠原サンの後にこんなんで良かったのかなァ‥‥(^_^;) いやいや、良いと思いますよ! 2007/01/30 卒業生の笠原重久さんからメールが届きました(送信日時:2007/01/25/09:26:15) 笠原さん、メールありがとうございます。 > スイス、ジュネーブの国連事務局(正確には国連貿易開発会議(UNCTAD)議事務局)で経済担当官をしております。 おおっ!交流コーナー1通目のメールが海外の最前線で活躍されている方からのメールとは…。 それにしてもお忙しそうですね。今頃はエジプト行きの準備をされているところでしょうか?でも、その一方でとても充実した生活を送っておられるということが、文面の端々から感じられます。自分の仕事に誇りを感じることができるというのはとても素晴らしいことですし、本校の生徒諸君も是非そういった道を探して欲しいですね。 > 国連は以前から日本人職員がとても少なく、私は福井県出身の同僚に今だかって会ったことがありません。 ふむ…国際公務員を目指す気持ちはあっても、どうすればいいのか分からないという諸君が多いのではないですかね。あと、国際公務員の仕事内容をあまり知らないとか…。 直接お話ししていただく機会があればよいのですが、そうでなくてもこうしたメールでいろんな情報をいただけると生徒諸君の刺激になるのではないかと考えます。幸い、管理人はLL室におりますので、メールを掲示するなんていうのもありかな…と思います。 > もし羽水高校の図書館に卒業生による出版物のコーナーがあれば さっそく担当の先生に提案させていただきます。 > このような羽水高校OBを含む関係者の交流の場が出来たこと最近になって気が付きましたが、とても嬉しく思っております。これで旧友との親睦も新たにできるのではないかと期待しています。 そうですね。是非、OBの方々にはこのページを通して交流を新たにしていただければと思います。 追伸 |
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